庄 I A : 庄内とけちゃま中央情報局のブログ

んだんだ脳炎などのアナログ通信からデジタルに移行した基地外のブログです。 ついでに、多重人格者(えっ!私だけなんですかねえ?)

日本語字幕映画【ベーシックインカム】=生活基本金の無条件配当システム

ベーシックインカム/民主主義緊急事態宣言:Bフルフォード×天野統康×増山れな
の続き=第2弾になります。

日本語字幕映画の動画サイトは、You Tube & dotsub(ドットサブ)があります。
抵抗勢力のユダ金(改宗ユダヤ国際金融マフィア)グーグルに買収された
You Tube何かと消されやすいので、 dotsub(ドットサブ)サイトの動画も貼り付けておきました。
ベーシックインカム映画の紹介項目の中にあったように、You Tube職員の中にも
『好きでやってる仕事ではないけど賃金奴隷になってしまっている』
なんて方が何割かいるかもしれませんね?
現代では、どんな業種でもありがちな現象ですよね。

解説文(字幕の文字お越し等)サイトは、埋め込み動画下に貼り付けました。


You Tube
※1 動画の右下にある設定ボタンで、日本語を選択して下さい。
生活基本金/ベーシックインカム映画
 (grundeinkommen)日本語字幕


1:38:46 https://youtu.be/o1o3qj8G6ho ←拡大動画はこちら
2012/12/11 に公開
生活基本金/ベーシックインカムの映画


●dotsub(ドットサブ).com/view 編
  
画面下方のGerman[100%]のところを、Japanese[100%]
    にセットし直してスタートさせて下さい。
Grundeinkommen(ベーシックインカム

イメージ 1
1:38:45 https://dotsub.com/view/26520150-1acc-4fd0-9acd-169d95c9abe1 


●映画解説文サイト引用
ベーシックインカムってなに?
https://plaza.rakuten.co.jp/steiner/diary/200912140000/ 

映画「文化衝動としてのベーシックインカム
日本語字幕の文章化したもの
(つまり字幕の文字お越し)

http://www.geocities.jp/momoforall/booknote8/basicincomemovietxt1.html 
  ※3 ヤフーブログ文字数制限につき、全文はをご覧ください。
     半分も転載できておりませんので、ご了承下さいね。

……前略……

★★★文化衝動としてのベーシックインカム★★★以降の抜粋
2008年ドイツ/約1時間39分
制作:ダニエル・ヘーニー/エンノ・シュミット
邦訳:吉田和彦(在ミュンヘン

映像によるエッセイ : ダニエル ヘーニー & エンノシュミット 共同制作
邦訳 吉田和彦


●所得とは翼の周りの空気の様に、無条件に存在すべきものです。
ベーシックインカム(国民配当)によって、所得は市民の権利となります。

ようこそこの地上にお生まれになりました。

誰もが多かれ少なかれ所得を得ています。
そうでないと人は生活出来ません。
では、どの様な条件で、所得を得ているのでしょうか?
10人中4人のドイツ人は所得を得ています。
それは賃金労働に従事しているからです。
その労働で生活資金を得る事が出来るので、賃金獲得目的の労働です。
10人中約3人は、家族から収入を受けています。
とりわけ子供や青少年がこれに当たります。
10人中約2名は年金や恩給による生活です。
そして残りの約1名は失業保険や生活保護を受けています。
これら全ての収入が賄われているのです。
しかし実際にはたった41%の市民しか、賃金労働に従事していません。
それ以外は別の収入を得ています。
それは譲渡による収入―すなわち、仕事とは直接関係の無い収入です。
そう考えれば、生活基本金制度BI(ベーシックインカム)もそれほど特別な事ではありません。


●聞き慣れないのは、それが無条件である、という事です。
でも所得を得る為に、条件に縛られる事が、時代に合っていると言えるのでしょうか?
各々がそれなりに頭を働かせて、ある程度事を判断出来れば予想がつく事ですが、今の労働市場では、将来、社会制度で人々の調和を保つ事が、出来なくなってしまうと言う事です。
生活基本金というテーマが頭に浮かんだ時、まず考えてしまうのは、それを経済成長とだけ結び付ける事です。
今日それが現実的で政治的な考え方です。
右から左のどの隅々に至っても、経済成長の事しか頭にないのです。
つまり人は量的にしかものを考えず、それが原因となって、新しくクオリティの高い社会制度モデルを、質的に構想する事を、押しのけてしまっているのです。


労働市場の拡大が経済成長につながるとは、今日、もう言えません。
それどころかそれは間違いです。
いずれにせよ、経済的成長の前提となるのは、購買力の存在です。
つまり誰もがお金を持っている、という事なのです。


●世界最大の財産管理会社と、世界最大級の銀行の最高責任者クラウス ヴェラースホーフ氏は、無条件の生活基本金について、どう考えるでしょうか?
「人々に対する条件無しの援助についてですか? 勿論それは将来に継続されるべき根本原理にかわりないはずですが、私達が抱える様々な課題を考えると、難しい事です。」
それはつまりどんな課題の事なのでしょう?
恐らく職場を確保する事でしょうか?
政治家は皆、それを望みます。
が、仕事そのものについて、考えているのでしょうか?
それとも税収入の事?
社会保険の受給者を増やさず、国の経費が増大しない様に・・・と?
でもね、費用増大の原因となる『悪い国家』という風にではなくて、様々な成果がもたらした必然的なものと考えてみましょうよ。
その成果がもたらした必然性、それは合理化です。
それは自宅の前でも行われています。
(自動ゴミ回収機付きトラックが、家庭ゴミを回収している。)


●もし、所得が保証されたら、あなたは何の仕事をしますか?
将来どう発展してゆくべきかを考える時、
この生活基本金に関する問いが生じます。
ベーシックインカムには異なったモデルがありますが、関連組織全てに共通する生活基本金の定義は、国家に属する全ての人に、無条件で支給される所得である、という事です。
そこには4つの基準が掲げられています。
【生活基盤を保証し、社会生活を可能にする】
【個人に合った権利を現実化する】
【何の審査も無しに支給する】
【就労を強いない】


●ここで言っておかなければならない事は、生活基本金によって、全ての人にとってお金が増える訳ではないという事です。
天から舞い降りて既存収入の上に被さるのではなく、その既存収入の中で成長するものなのです。
賃金所得は少なくなります。
収入総額に変わりはありませんが、内容が違うのです。
生活基本金は性格の異なる収入です。
最低賃金とは違います。
報酬でもありません。
仕事とは関係ないのです。
人間そのものに支給されるのです。
どんな事があっても。


●個人を抑圧する共産主義だとか、個人が孤独に陥る市場自由主義とは異なって、ベーシックインカムにおいては、個人が自分で決断出来得る最大限の自由の確保を保障出来なければなりません。
それは所得の保障によってのみ可能ですし、収入を得る他の仕事をしなくても生活可能な金額でなければならないのは当然です。
それは又、他人との関係を同じ目の高さで築く事の前提条件にもなる訳です。


●今日、社会保障に頼る殆どの人は、自身の生活基本金によって解放されます。
ベーシックインカムは国の支給能力を、最高限まで補う事が出来ます。
その限度を超えた社会保障が必要な場合にのみ、その分を受け取る事が出来ます。
基本金に因って(よって)お金が増えるのは、今日あまりお金のない人達です。
それはとりわけ子供や青少年、つまり家族という事です。
あるいはわずかな年金で生活する人、収入の少ない労働者や自営業の人などです。
生活基本金は貧困を除去し、保証された基盤によって、中産階級を安定させます。
年老いる事も怖くなくなります。


●この基本金は誰かが他の人と契約して譲渡する様なものでなければ、急に必要になってから支給するものでもなく、全ての人の将来を見通したものなのです。
ベーシックインカムは、より良い人間づくりを想定している訳ではありません。
そういう問題は、お金では解決しません。
でも人間によって、今までより多くの問題解決が可能です。


●トーマス・ペインは人権擁護運動の創始者であり、アメリカの建国に携わった一人です。
アメリカ合衆国というのは彼の命名です。
彼が出版した『コモンセンス』(健全な人間の理解力)において、ペインは北アメリカ植民地のイギリス王室からの独立宣言を、推し進めました。
彼は世界中の初期の民主主義的考え方に、大きな影響を与えました。

私達は、全ての人間が平等に創造され、その創造主から、生活、自由、幸福、という譲渡する事の出来ぬ権利を与えられて居ると言う真実を知っている。
人間の権利。
昔は言語道断でした。
でも今日でも同じです。
平等な人間存在の権利を説くなんて馬鹿げています。
まだありませんから。
権利は財産を所有している人が持っていますから。
財産のない人はちょっと生意気になるしか仕方がありません。
人間の権利?
つまりそれは奴隷を解放する事です。
そしたら誰がサービス業をやるのでしょう?
お金にも名誉にもならずに嫌がられる力仕事を誰がやるのでしょう?
そうした心配を人はします。

例えばベーシックインカムにおいて・・・経済は破綻し社会は混乱。

●でももっと大変だった時があります。
それは地球が丸いって解った時なんです。
教会は地が円板だと永らく信じていました。
それは混沌とした水に囲まれており、誰かが円板の淵にまで行こうとすれば、突然その水の中に落ちてしまうのだ、と言われていました。
また地は屋根の様な天空に覆われ、その上を星が巡り、そして更にその外側では、人間の杞憂を司るとてつもない力が天を支配すると考えられていました。

それと同様に、今日私達はお金と経済を見ています。
地が円板であるという事が、当時の世界観、秩序、安全保障の全ての基盤になっていました。
新しい意見も聞かず、地は円板でその上に人が存在するのだと、言われ続けて来ました。
では地が円球だったら、どうなってしまうのでしょうか?
それが解った時でも、もちろん、地球は宇宙の中心で、自転しているなどとは思われていませんでした。
だから惑星の軌道の法則性をつかむ事が、限りなく困難になってしまったのです。
この様に人がどこに観点を見据えるか・・・という事がいつも重要なのです。


ベーシックインカムも全く同じです。
困難になってしまうのは、自分自身の『動き―可能性』を知らないからです。
理解の限界に達した時、見栄えは良いが実はイデオロギーに包まれた既存の事柄からものを判断していたのでは、もう先へは進めません。
でもまず人間について、そして今後の発達について考えれば、事は簡単になります。
様々なシステムは自らの正当性を主張し、他のシステムに変わる事は不可能です。
でも人間ならこれは可能です。


ベーシックインカムは、オーストリア、スイス、ドイツでテーマとして話し合われています。
「もう、時がみちているんじゃないかしら。」
「人間の尊厳が奪還される事になるんだよ。」
「贅沢する為にあるのではないんです。」
ベーシックインカムは何と言っても我々が今抱える社会的緊張の増大を抑える効果があるんだよ。」
「結局、多くの人がしたくもない仕事をやってるんだわ。すると人は、そういう人こそが職場を占領し、本当に働きたい人には職場が無いと考えます。働く事を望むのか望まないのか、それを言う決断が自身に与えられた時、社会に動きが生じます。」
「でも一番すごい事は、人生が終わりに近付いた時にこの人生でやりたかった事がお金が無くて出来なかったなどという言い逃れがもう出来なくなってしまう事だわ。」
まさしくその通り、言い訳不可能。


●「諸君、誰が親が望むが為にのみ、ここで勉強しているのだろうか? どんな社会の中で我々は生活したいのか? こんな疑問を持てないのであれば、コンピューターとだけ付き合えば良いのさ。」
「このテーマに取り組んでいるイニシアチブはもうたくさんありますよ。」
「そんなの無理に決まっているよ。いゃー絶対に無理だよ。だって報酬が保障されてしまったら、仕事をやる気なんかなくしてしまうよ。全くなくしてしまうだろうね。」
「賃金労働によって人は病気になります。何故なら、これは経験的に言える事ですが、労働の時間がどんどん制約され、人がその中で圧迫されているからです。」
「根本的にベーシックインカムは、束縛の無い社会をもたらします。これこそ最重要です。賃金労働の束縛から放たれ、自主性へと向かいます。」
「でもね、どうせ後になって出る問題は、どうやって資金を調達するかって事。だってお金がどこかにないと、出来ないでしょ。」
「でも経済学者として、これは可能だと言えますよ。」
「その通り。ただ大変なのは、これを実行する為のノウハウを皆が学ばなければならない事です。それはただ事ではないし、経験もありません。資金の調達方法そのものは、もう解決しています。
それより自由になる事こそ難しいのです。」
資金調達の可能性は解決している。
自由の獲得こそ困難な修行である。



ベーシックインカムの必要性と労働の在り方


●21世紀のヴィジョンは既に存在し、新聞はその話題で
溢れています。

そして同じく自分達も。
生活基本金は、今世紀最初の希望ある未来像です。
それは人がただ傍観するだけの手の届かぬ世界的テーマではなく、誰にでも関係する事なのです。
つまり各自が、責任を持って行えぬ事は、もうやらなくてもよくなり、本当に望む事を行なえるからです。
それとも皆、家でゴロゴロするだけになってしまうでしょうか?
誰も働かなくなってしまうでしょうか?
長期ストの時と同じ様に車輪も停止し、責任者も遊び呆けてしまうでしょうか?
責任。それはもう消え去り、舵取る者も無く、誰も学ばなくなる、大学も空っぽになる?
より優れた能力に対する意欲を、生活基本金は削ぎとってしまうのでしょうか?
強制される事なしでは、人は能力を生かせないのでしょうか?
が、それだったらとっくに企業の専門職は不足しているはずです。

経済はどの様に進展するべきでしょうか?

●「経済が本来何の為にあるか・・・という理解が欠けている事、それが私を一番憤慨させるんです。」
経済は人間の共同生活において、活動する事を可能にし、何か役立つ良い事を行なえる様にします。
でもその考え方がもう消滅しています。
つまり経済は、人間自身の生活とは関係のない目的へ向かう、単独な循環行程を持ってしまい、人間生活を破壊する事さえ可能なのです。」
「何と言われても僕が固く信じるに、我々に必要なシステムは、労働量や良い業績に対して報酬が支払われるシステムだよ。もしこれが、じょうろで全ての植木に水をやる様に、全ての人に一定金額を支払ったり、ベーシックインカムが導入されたりしたら、あげくの果てには、全ての業績社会制度が崩壊してしまうだろうね。」


●2001年のドイツを例にとってみると、560億時間の労働に報酬が支払われたのに対し、無報酬の労働は960億時間にもなるのです。
それは家事や親としての仕事、ボランティアなどの仕事です。

ベーシックインカムは業績による報酬を妨げるものではありません。
むしろ課題となるのは、企業や社会における責任者が金銭的状況にさほど束縛されなくなった人達を報酬の支払いを武器にかざすことなく、どの様に指導
してゆくのか、という事であり、またおのれ自身をどう導くのか、という事なのです。


●でもやっぱり皆、プールで寝そべるのでしょうか?
そして街路にはゴミが溜まってしまうのでしょうか?
結局老人だけが公園の整備をするのかも。
生活基本金は、業績社会のみならず、人間としての自覚や成功への喜びをも埋没させてしまうのでしょうか?
全ての人間が報酬を受けるのも、何だか退屈かも知れませんね。
昔のヒッピーや、シュタイナー学校の生徒だったら、人間とは本質的に優れたものだと思っています。
でも人間は動物でもあるから、生活基本金よりも、獲物を捕らえるなわばりの方が良いのかも。
まあ、焦らずに、新しい市場が何をもたらすか、様子を見てみましょう。


●扉の外側で多くの人が、飾られた食卓につけずにいます。
生活基本金制度は、人のつながりを緻密に出来るでしょうか?
それとも、階級社会はこのまま存続してしまうのでしょうか?
高額な報酬や目も眩む学費、そして固定資産などを管理する人もいればその他方では生活基本金制度の準備をする人もいます。
それは、希望や趣味に時を充て、自給200円の為にでも仕事をし、本質的な事を妨害しない人達です。


●間違った生活基本金制度も起こり得ます。
それは、生活必要額に満たない基準を、設けた時に起こり得る事です。

また全ての社会福祉制度を抹消すれば、人に労働を強いる事になってしまいます。
中国の様に個性を見ずにただ賃金を払ったり、生活基本金制度の中で、仕事を断れなかったり、また金銭の往来が様々な出所や特別なモデル、照合計算や書類などによって複雑になってしまうと、およそ今日ある様な状況を、より悪くしてしまうだけです。


●間違った生活基本金制度は、
―金額が低い時、
社会保障が削除された時、
―条件を付けた時、
に生じる。


●『働かぬ者は喰らう事無かれ』と使徒パウルは言いました。
でもそれは教会活動に献身的では無い人を指しての事でした。
『もし教会の救済がすぐ近くに来ているとすれば』
パウルは続けて語り、
『つまり行なうべき事を与えて下さるのであれば、食べるものだって与えて下さるに決まっている。』
パウルにはユーモアがありましたが、他の人には解りませんでした。


●寄宿舎の生徒が籠に入れられて、食卓上の天井に吊り下げられ、何も食べさせてもらえません。
仕事を十分にしなかったからです。
食事没収!
精神性が失われる時、どんな決まりであろうともひどいものです。


ベーシックインカムについて議論する際、初めに課題となるのは、古い考え方を踏破(とうは)してゆく事です。

例えば以下の観念。
『賃金労働に従事する者のみ、食する権利を有する。』
この間違った、働く者のみが社会の為に有用なのだという考えを、ベーシックインカムの議論において、取り除かなくてはなりません。
何故なら、世の中にはこれとは全く逆の賃金労働だって存在しているのです。
『働かぬ者は喰う事無かれ』という言葉が、先ほど心に響いたばかりですが、芸術家ヨゼフ・ボイスはその言葉を、『考えぬ者は出て行け』・・・と、書き換えました。
だって食べる物は勿論、その他の物も充分にあるのですから。


●「でもその点、仕事に関してはどうでしょうか?こうした自然物、物質、そして加工に関する労働は、有り難い事に上手く行っている。しかし経済は人間を労働から解放するという課題を背負っているんだよ!」
経済は人間を労働から解放するという課題を持つ。
こんな事、新聞には載って居ません。
一体どこに開放するのでしょう?
こんな事企業要綱にも載って居ません。
従業員の解雇は誰にとっても辛い事ですが、現実にそれは起こっています。
しかしそれを現実の事としてもしくは課題として理解すれば、少し変わった解釈も可能です。
つまり、労働から解放されると言う事は、同時に労働への自由を獲得する、という事です。
労働という名の囲いの外にヴァカンスとホリデーしか思い浮かべられないなら、そんな考えは、自主性から来るものではありません。


●「職場にとって、何が投資されるべきなのでしょうか?新しい時代の職場に投資するすべての事は、同時に合理化へと向かうべきである。そこではつまり労働を節約する事が展開して行くのです。そこでは『どうやってもっと多くの仕事が来る様にすればよいか?』などと言うマネージャーはいません。」

『どうやってもっと多くの仕事が来る様にすればよいか?』
???
経済の課題は需要を満たす事にあります。
お判りの通り、効果的にです。
仕事をもたらす事が経済の課題ではないのです。


●人生の目的や疑問、課題を携えて来る人々が、それでは収入が得られないので、他の事をしなければならない状況に対して立ち向かう事、これが課題です。
現代社会における問題点、それは今日、大勢が職場を持っているとは言うが、実際、それは金稼ぎの場でしかない・・・と言う事なんだよ。」
金稼ぎの場があると言う事は、つまり人は、金を得る為の手段を、学ぶという事なのです。

それに魅力を感じないのであれば、社会的にこれは問題です。
何故ならそれがストレスや病気につながって行くからです。
ドイツでは12%の労働者が、その職場が自身に全く適していると感じています。

10人中1人以上の割合です。
半分以上の54%の人は、仕事に対してさほど満足して
いませんが、良い点を挙げる事も出来ます。
そして34%の人は自身の仕事に全く不服です。
およそ3人に1人の割合です。


労働争議って言いますが、それは結局賃金闘争の事です。
その労働争議は仕事がなくなってしまう事に対して、抗議します。

・・・って事は、仕事=私自身です。
しかし仕事の斡旋は正当なものではありません。
義務そのものが正当ではないのです。
身を売買される事が、正当であるはずがないのです。


●人が自身から望み行なう労働を得る権利こそ、正当なものです。
誰にも左右されずに、その正当性の為に賃金も正当でなければなりません。
「仕事の為の労働局があっても『賃金管理局』がないのはちょっとおかしいねぇ。」
この男性はつまり、やる仕事はいくらでもあるけど、それでは稼いでゆけないというのです。


●もし所得に対する権利が存在するなら、社会にどの様な影響を与えるでしょうか?
スイスの社会学者メーダー氏の意見は・・・
「賃金労働に於ける偏ったこの批判的な状況の中で、
人は『人生の根本価値』という問いに焦点を当てます。
所得の権利は人々を激励し、安心感を与えます。
またやる気を与え、満足感をもたらします。
したくもない事を、肘をはって無理して行う必要も減るのです。
他人の犠牲によって得られる利益に、常に執着しなければならない現状から、人々は少しずつ解放されて行きます。
その今日の現状は激しい競争システムによって生じ、それに因り、人間の連帯機能もうまくいかなくなっています。」


●以上が社会学教授の意見でしたが、ちょうど仕事を終えた人が初めて生活基本金について聞いたら、何と言うでしょうか?
「・・・って事は皆同じ給料を貰うって事?」
「そうではなくて給料はまちまちだけど、生活基本金が貰えるんです。」
「でも働けばでしょ?」
「いいえ、無条件で。」
「無条件?」
「全員に支給されるんです。」
「そんな事したら必ず問題が起こるよ。基本給が保障されたら仕事に就かなくたってよくなってしまう。」
「あなただったらどうしますか?」
「喜んで仕事に行くよ。家にいたって何もならないし、自分の仕事が好きだからね。でも必ずや仕事に行かなくなる人が出て来るだろうね。」


●生活基本金が貰える場合
それでもあなたは仕事に行きますか?
この質問に
○約60%の人が、
即座に「はい、今まで通り」と答え、
○30%の人が、仕事には行くが、「少し時間を減らす」か「内容を変える」と答え、
○10%の人がとても正直に、まずは家でゆっくりしてから、先の事を考える・・・
旅行に行ったり、他人の世話をしたり、何か勉強を始めたり・・・と答えました。

では、生活基本金が貰える場合、他の人は仕事を続けると思いますか?という質問に対しては、
○80%もの人が、「いや、大抵の人が仕事へと向かう力を失ってしまうだろう。」と答えています。


●仕事に必要なこの力って一体何なのでしょうか?
自身から湧き起る力ではありません。
何が仕事へ向かわせる力なのでしょうか?
足踏み動力
児童労働
全ては当然の事でした。
でも今なお存在します。
何かの製品がどこかアジアの国で作られ、そこでは人がしたくない様な不快な作業がなされ、その為に、更にどこかから、安い労働力が導入され、その為の契約書も保険も何の保証もないのです。
病気になれば、お金も貰えません。
でもこうした『汚い仕事』と呼ばれる仕事は、それ自体が汚いという訳ではなく、その誤った価値観や低賃金や労働条件などが、その仕事を汚くしているのです。
しかも大抵、その仕事は他の人が汚したものを片付ける仕事です。
誰が一体その仕事を汚しているのでしょうか?


●生活基本金があれば、誰もが「イヤだ」と言える様になります。

そしたら誰が『汚い仕事』をするのでしょうか?
その為の3つの解決策は・・・
1.その仕事に対する賃金を上げ、労働条件を向上させる。
2.自動化や合理化を推進する。
3.各自が自身で処理する。


●「例えば、スーパーのレジで働いている人を思うと、たぶんそんなに楽しい訳ではないと思うわ。 レジの人達は生活基本金が貰えても仕事に行くのかしら?」
それでは実際に尋ねてみましょう。
「えぇ、私は仕事を続けるわね。だって家にいて何もしないなんて考えられないわ。例え1000ユーロの基本金を貰えたとしてもね・・・」
「まあとりあえず、1000ユーロって事ですが、もっと高くするべきでしょうね。それとも少なく?」
「どのみち1000ユーロじゃ全然足りないわよ・・・。」
だからこそ『基本金』なのです。
それは文化的水準にかなう生活の為に最低限必要な額を補います。

だから今と同じ様にお金をもっと稼ぎたいと大抵の人が思うのは当然です。
レジに戻りましょう。
「『夢の職場』って訳ではないでしょう?」
「勿論『こんなレジの仕事なんて』って考える人もいるけどこの仕事では多くの人間と接触出来るし、自分の態度が雰囲気にも影響を及ぼすんです。また私は開放的な性格ですから・・・。だから仕事についても悩んでいないし、ここがとっても気に入っているわ。」
生活基本金があったら、何の仕事をしますか?
より良い条件で同じ仕事を・・・
だとしたら、ベーシックインカムが導入されても、極端な変化は起こり得ません。
「仕事無しじゃ生きていけないわ。そんなの退屈ったらありゃしない。」


●でも変化は起こるでしょう。
「旅行に行ったり、色々視察したり、今出来ない事が可能になるわ。仕事をする為には教養を積まなくてはならないしね。そして仕事に付きまとうストレス。皆仕事を見つけるのにも苦労しているしね。ふさわしい職場は直ぐふさがってしまう。でも生活基本金があれば、職場探しもそんなにストレスにならないと思う。」
「現在私達は、生徒達が大人になって社会に出る時の為に、自身に合う職場を必死になって探せる様な状態に導かなければなりませんが、そんな職場が十分に存在しない事はもう皆知っていますよ。そんな偽りの中に私達は生きている
んです。」
ベーシックインカムというテーマは、若者にとって本当に大切だよ。今日どれだけの若者が将来に不安を抱いているか、様々な学校で観察する事が出来るしね。よく考えもせずに単に就職の準備を学校で行って、納得がいかなくても仕事について安心する事で、その先問題が生じるんだよ。人が本当にやりたい事を最善をもって行なえる様に、ベーシックインカムは現在の問題を改善してゆけると思う。」
「でもやっぱり問題は起こるだろうね。意識の問題が・・・。」
「何事にもふさわしい時と場所が必要だよね。」
ではベーシックインカムが及ぼす仕事への意味は?
「恐らく仕事は複数の人によって分担されるだろうね。そしたら満足が得られるのさ。」
では『意識の問題』は?
「僕ら人間は大抵大きな錯覚の世界に生きています。僕らが生きていられるのは、自然があるからであり、また、次世代やパートナーがいるからです。自分以外の物や人が自分を支えているという依存関係や人間愛の事をはっきりと理解しない限り、自分はまだ他の人に対して負債がある訳です。」
人間愛についてでしたが、人間の平等や民主主義については?
「私にとってベーシックインカムは民主主義が機能している証拠の様なものだわ。生活基本金が保障されていればビクビクする事もない訳だし、全ての人の為の民主主義社会に多様性をもたらす事が可能になるわ。貧富の差に関係なくね。」
では芸術分野では?
「実際に作業していない時でも、目に見える作品が存在しない時でも僕は働いている訳でしょ。芸術家にとっては色々複雑で想像力を得て作品を作る為に必要な人生全体の時間に対して、お金をもらえるのでは、無い訳で、注文を受けて実際に工房で作品を製作した分のみ、お金が支払われるんだよ。インスピレーションを得てそれを保持する為の時間をどう経済的に支えるか?人生そのものが芸術なのだから!」
さて若いお母さんにとっては?
「それはもう最高だわ。そしたら何も後悔する心配なく自分がやりたいように育児に専念出来るし、やっぱり働きたくなったら、労働斡旋所の紹介するがままにではなくて、自分の希望に沿って仕事をしていけるわね。
そういう事を考えたら、とっても良い事だと思うわ。」
そして子供が成人になったら、独立するのも容易になります。



★収入と労働の分離


●さて、ベーシックインカムで基本金が保障された中で、人は正しく成人になれるのでしょうか?
ベーシックインカムと人々の意識成熟の関連は?
「恐らく僕は社会に対する反抗に、そんなに時間を要さずにすんだだろう。経済的な心配がさほどなければ、世の中に容易に溶け込めただろうし、人の中にも容易に溶け込めただろうね。そして本当に大切な事を諦める事もなかっただろうね。至る所に存在する必要のない癒着関係を、解いて行く事が可能になるでしょうね。」


●○ゲッツ・W・ヴェルナー
「私達人間は、もっと社会や世界で起こる事に対して、責任を持たなければならない。こんなに収縮した世界で人間は孤立して生きてゆけない。ともかく大切なのは、まずは全ての人が頭の中で、収入と労働を切り離して考えられる様になる事です。つまり仕事をする為に収入があるのであり、収入を得る為に仕事をするのではない、と言う事です。」
ベーシックインカムは私にとって、アルキメデスの原理の様なものだよ。それによってまた様々な疑問や課題が沸き起こって来るだろう。でもこう言う事は色々な所でいっぺんに始めても大きな社会運動にはつながって行かないだろう。それよりも大切なのは、ひとりひとりの個人の力。この個人の力こそが重要なのさ。」


●ヨーロッパのとある中央駅で人々がつくりものの冠をかぶって歩いている。

戴冠式(たいかんしき)の光景。
人が飛べると言う事は永い間空想の産物でしかありませんでした。
失敗ばかり重なって不可能だと思われていました。
今日では技術的に当然の事となりました。
そして選挙権も!
全民衆が決定権を持つ社会が成り立つなど、信じられていませんでした。
限られた視野しかない、教養のない町民が、社会の事も知らずに決定権を持つ事が、国家の為に有益なのか?
・・・と。
しかも男性ばかりではなく、女性までも!
女性、それはとっても感情的だから、すべてがゴチャゴチャにされてしまうのを、守らなければならない・・・と。
また家事は一体誰がやるのか?
一連のこうした主張が、再びベーシックインカム反対者の中に見出せるのです。
スイスでは婦人の選挙権が1971年から施行されました。

その3年前には既に月へ人が飛んでいます。

※ ↑に関しては大嘘ですが、例え話としては良い事にしましょう。

それまであった事を覆す様な事が、実際に現実となる前には、それが可能になるなどとは、誰も信じて居ませんでした。
今までなかった事も上手く行くはずです。


●その昔、市民は国家に統率されていました。
それが今日ではひっくり返り、市民一人一人が主権者として、自由選挙や市民投票を通して、国家に課題を委託します。
同様に仕事も、労働市場がそれを制するのでもなく、また人間が経済の為に存在するのでもなく、全てはひっくり返り、一人一人が経済的な主権を握り、自分自身の課題だと判断する事を、権利として守られるべき自由所得の原理の中で、行なう様になるのです。


●トマスモアはイギリスのヘンリー8世下の大法官でしたが、側近達の間違った考えに抵抗した為に、処刑(断頭)されました。
その行為によって彼は1935年に聖人と定められたのです。

更に2000年には法王ヨハネパウル2世が彼を政治家の守護聖人に定めました。
トマスモアは、その『ユートピア』という著作の中で、より恵まれた環境にある遠い島での旅行記を著しました。
それを他の著作家も真似ました。

この著作以来、私達はユートピアという言葉を使っているのです。
『無い』『場所』という意味です。
生活基本金の構想は、すでにルネッサンス時代の社会的ユートピアに見出せるのです。
ユートピアという場所を通して、人間の発展段階が判ります。


●過去には考えでしかなかった事に、後世に人は真剣に取り組みました。
たとえば啓蒙思想

つまり自らが見て考えて真実と思う事を主張するのが、啓蒙思想です。
更に自らの知識を他にも分け与え、新しい解明が常に生じて行きます。

ここで重要なのはどう言う事でしょうか?
大切なのは、思考の自立、自分で分析すると言う事です。
感情が揺れ動く時期に、両親や教師、牧師や博士を通して、受け継がれる思考のパターンは、突然間違いだとか、狭義なものだと認識され、すぐさま新しい思考パターンを見つけて自分の為に確立させて行かねばならないのです。
それを通して、自分で考えた事を信じると言う事を学んでゆきます。


マッターホルンに登りたければ、早起きする事を考えます。
下山する時に暗くなったり、寒くなったりしない様に、お昼には山の上についていたいからです。

スイス人は皆知っている事です。

でも原油消費量の事は、誰もよく考えずに、それがもう頂点に達してしまいそうです。
原油供給量のピークはもう真近で、それからあとは、ただ急降下しかありません。
賃金労働の完全雇用も同様に、一時的なもので、すでに頂点は越えています。


●未来学者のジェレミーリフキンは、将来どの様なスケールで、完全雇用が無くなって行くのか、1995年に予言しています。

2050年に、今ある様な産業形態を維持して行く為には、恐らく5%の人間のみが必要とされるだろう。
農場、工場、オフィスには、人が殆ど必要なくなる。
リフキンの予測は議論を呼んでいますが、単なる空想とは違います。

1982年にアメリカでは7500万トンの鋼鉄を生産する為に、30万の人が働いていました。
20年後には、1億トンもの鋼鉄が生産されたのに、その為に働いたのは、たったの4分の1の人だけです。
無論新しい職場も生まれましたが、それはいくらかのコンサルタントか特別な技術職のみです。
そうした事は産業界だけではなく、サービス業でもじ事です。

オンライン銀行は、その顕著な例ですが、これからまだまだ発展してゆきます。
同じ数の顧客の預金業務に、今までの銀行の10分の1の従業員しか必要ではありません。
こうした変化は先進国に限られた事ではなく、基本的に世界中の至る所で生産量に対する労働者の数が減る傾向にあります。


●21世紀における世界資源は、人間の創造力そのものである。

―アドリエンヌ・ゲーラー
「将来の職場は、今の芸術家やジャーナリストを模範としてどんどん変わって行くでしょうね。企業体にはまらずに、自由にお金や仕事の量、いつ誰と仕事をするのか、その期限を決め、自宅で仕事をする事も多くなるでしょう。」
「新しい時代は、人間が、不安、欲望、憎悪を克服して、理想的なヴィジョンに近づいて行く事を要求します。」


●100年前の農業では、1人の労働者が3人分の作物を生産していましたが、今日では120人分の作物を生産出来ます。

その訳はご覧のとおり・・・(大型機械の写真)
そしてそれはどこでも同じ事です。
現代の労働者は100年前に比べて100倍も動かなくてはなりません。

技術が多くの労働を担う事、一昔前はこれが目標でした。

では今日の目標は?
多くの人の後退につながる様な、今の状態が目標と言えるのでしょうか?

生きる為に不安を持つ事が目標ですか?
もう新しいアイデアなど必要ないと言うのでしょうか?
技術改新はどんどん先へ進んでいますが、社会福祉改新となると全く事情が異なります。
小舟は、一度沈まなければならないのでしょうか?
でも頭を冷静に保てば、体は再び浮いて来ますよ。
福祉の在り方を変えるのには、機械の動力とは違う別の力が必要です。

発展の波の中に社会福祉はまだ埋もれてしまっています。
福祉国家はどうなっているのでしょう?


●コメディ風?
ゲーテファウスト
メフィストフェレス:生命あるものを認識し、それを叙述しようと欲する者は、その中に存在する精神をまず除去してしまうのさ。
すると手元に残るのはバラバラになった部品だけで、それを結合する精神―或いは生活基本金―がそこには残念ながら欠けているのさ。
一体何の事を語っているのか私にはよく解らない。
頭の中で風車が回転しているかの様だ。
私には理解し難い。


●所得を得る為に仕事に行く・・・
と誰かが考えるのであれば、そこからもう誤解が始まるのです。
所得というものは誰でもが必要だから、皆が得るべきものです。
誰もが他の人のお陰で生きているのです。
もし所得が労働と結合しているとすれば、機械が給料を得なければなりません。
しかし所得を必要とする人が、今も引き続き仕事を引き受けています。
(所得が必要なら仕事しなければならない)


ベーシックインカムによって賃金労働が無くなるのではなく、その中の絶対権力を取り消すのです。
そして真実性に対して空間を与えます。
他にも色々可能性があります。


●約50年前のスイスで洗濯機はおよそ3550フランもしました。
これは大金です。
その後発達した洗濯機は、今日、3195フランで購入出来ます。
つまり価格はほぼ同じです。
でも50年前の1フランには3倍の価値がありました。

と言う事は、50年前に比べて洗濯機の価格は、3分の1になったと言う事です。
床屋は50年前には3フラン50ラッペンだったのが、今日では40フランもします。
この様に、技術の進歩によって、昔の様に人の手を借りなくても済む所では、価格は下がりました。
でもそうではない所―例えば床屋では―価格は上がりました。

高いのは人件費です。なぜなら所得が必要だからです。

しかも税金も加算されます。
購買力を考えた場合、床屋が昔よりも良い賃金を得ている訳ではないのです。
どこでどの様に合理化が進んだのか、また合理化にはどういう意味があるのか、それを知る為に価格の比較をしてみると、もし洗濯機の値段が床屋の値段の様に上がったとしたならば、今日40000フランにもなるのです。

もし私が洗濯機にどれだけの意味があるのかと言う事を理解出来なければ、(洗濯する機能の事を言っているのではない)、無条件の生活基本金が文化衝動であるかどうか、その質問に対する答は得られないでしょうね。

●もう今から212年も前に、トマスペインは著書『農業の合理性』の中でベーシックインカムを推進しました。
そこで彼が述べたのは、全ての人間は平等であり、大地はそれを養う。
だから誕生の時より人間を養う大地の一部に対する権利が与えられるべきである。

が、その大地が幾人かの人間に割り当てられてしまっている場合、―それを財産というが―そこに均衡がもたらされなければならない。
土地を所有しない為に、自給出来ないこうした人々に、均衡をもたらすのが、生活基本金であるべきである。


●それから今日に至り、様相は変わってしまいました。
今日では土地を所有していても、自身を養う事は出来ません。

自分の為にだけトラクターを製造したり大地に肥料をまくのではなく、自身の仕事の成果がほかの人々の為になるのであったなら、世の中はもっとうまく行くでしょう。
自給というのは、自分で製造出来るものによって、生活すると言う事です。
でも自給の様に見えても、本当は違う事もあるのです。
私達は助け合いの中で生きています。
私の労働は他の人の為にあり、私が手に入れるものは、他の人の労働によって、存在します。
そしてその往来がお金によって機能しています。
労働によって商品となったものが、お金で買われます。
お店ではチーズと現金が、店頭で交叉する訳です。
給料には自給的な性格も含まれています。
何故なら自身の行為に対してお金が払われるのだから、結局自分の為なのです。


イスラムのスフィ伝説に出て来る、天国と地獄の違い。
地獄ではおいしい御馳走が準備出来ています。
そこに(すごく)長いスプーンがあります。
それぞれがひとつずつ手に取ります。
(人々は何とか自分が食べようとして競い合いますが、スプーンが長すぎてうまく食べられません。いさかいが起きそのはずみで大鍋がひっくり返ってしまいました。)
天国でも全く同じ状況です。
おいしい御馳走とスプーンが準備出来ています。
それぞれがひとつずつ手に取ります。
(そしてお互いの口にスプーンで食べ物を運んで、皆が仲良く食べさせ合っています。)


助け合いの社会では、自身の仕事の成果が他の人を満足させる。
自分のもとに今ある事は、他の人のイニシアティブ(主導)によって存在する。
イニシアティブを買う事は出来ないが、可能にする事は出来るのである。

●「こうして考え方を変えれば、解る事なんだけど、自分の為に働いてくれる人々に対して、生き延びる為に這いつくばっても働け!等と酷な言葉をとばすのは、恥だと言う事だよ。」

●「新しい時代の特徴は、社会における絶対的な個の存在性だよ。全ての人は自身の目標や概念を持ち、それを可能にする方法を探している。今の社会では
そこでお金が重要な意味を持っている。すなわち、お金が自由への手段になってしまっている。その考え方を今後変えて行かなくてはならないんだよ。でも人々がそれを出来ずに、お金の奴隷になり下がり、自由への喚起を結局の所再び失う事になれば、それは悲劇であり、現代社会における皮肉とも言えるよ。」


●お金の奴隷になるって、どう言う事でしょう?
それはお金で測れる事だけは全てやる、と言う事です。
つまりお金そのものが価値である、と言う事です。
そしてお金を利用して、もっと多くのお金を持たなければと考えます。
またお金を行使して他の者やその生活に権力を振います。
そしてこのお金の奴隷達は、その支配権によって、彼らがお金を与える人達をも奴隷としてしまうのです。
ベーシックインカムでは、民主主義によって流れるお金の一部が、市民にくまなく分け与えられ、自由への手段となるのです。

そうすればお金は雇われものとなり、人間が支配者になります。


●グローバルな課題を持つ今の世の為に、これは好条件となるでしょうか?
「いやぁ、それは当り前だよ。まず社会に必要なのは、自由の概念を作り上げる事。というのも世の中は馬鹿げた事ばかり・・・。『世の中に金があり過ぎるのが問題なんだ』・・・と投資コンサルタントが嘆く一方で、至る所で商品が過剰生産されている。そして増え続ける膨大な失業者。とにかく課題が山積みだ。人間がグローバルの泥沼に埋もれたくなければ、多くの事を早急に行わなければ・・・。」


●世界全体の農業は、120億人分の生産が可能です。
この地上には66億の人が生きています。
なのに1時間当たり1000人が食料不足で死亡しています。
「水は食料品にあたるから、他の食料品の様に、市場価値を定めるべきだ。」

―ジャンツィーグラー
『パン』
「今日食料不足で子供が死んだら、それは殺されたのと同然です。」
お金は、必要な所に流れてゆかず、社会の現実とは断絶されています。

利子を増やす名目のもと、保管されていますが、ドアの外の社会では不足しています。
多量のお金がひと所に寄り集まっています。
そこから出て来た所で、人々の為には何もならず、例えば配当金として激烈なシステムの中で、破裂するだけです。
これが未来ではないでしょう?


●「所得と労働を分けなければならないと言う事は、次第に明らかになって来ています。そしてベーシックインカムは、失業問題に対する本当の解決策だと思います。やるべき事はたくさんあるけれどもお金がない訳です。だからベーシックインカムで必要な所にお金が流れ、人々のインパルス(想念)が現実の
ものになればと思います。」



以下、★項目のみ抜粋にて、省略
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ベーシックインカムにおける税と財源
ベーシックインカムによって開ける未来