2/9都知事選再検証03 舛添要一編03エピソード
家族・親族
奔放な女性関係で知られ、2度の離婚歴がある。最初の妻は留学時代出会ったフランス人。2度目の妻は官僚時代の片山さつき(当時朝長さつき)であり、衆議院議員だった近藤鉄雄の紹介でお見合いしたのが馴れ初めで1986年に結婚。しかし実質的な結婚生活は長続きせず、3ヶ月後には片山が弁護士に相談する事態に陥ったといい、調停を経て89年に離婚した[42]。1996年6月に現在の妻である元秘書の女性と3度目の結婚をし、2児をもうけている。他に日本人女性2人との間に婚外子が計3人いる[注 1]。
マドンナ議員批判と不適切発言
1989年の第15回参議院議員通常選挙の際、いわゆる土井ブームによって「マドンナ」議員が大量当選したが、舛添はBIGMAN1989年10月号「増殖マドンナ議員は日本をダメにするか?」の中で、「(マドンナ議員が増えたのは)歴史的な例外の時代であって、だから、女ごときが出てこれる」「あのオバタリアンは全部“あがった”人ばかりなんでしょう」とこの現象を批判した[44]。また、テレビ朝日のバラエティ番組「ボロキャス」において小木博明との対談をした際、お年寄りからの徴収を目的として消費税増税を行うという文脈の中で「奴らは、金持ってんですよ! 」「1400兆のうちの半分の700兆は、ジジイ・ババアが持ってんだよ!」と発言した[45]。
実姉の生活保護問題
また、次長課長河本準一の母親の生活保護受給スキャンダルの発覚(芸能人生活保護不正受給問題)から、姉の生活保護受給の話が再び注目された[46]。1992年、北九州市の担当職員が「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」と頼みに舛添の家を訪ねたが追い返された(元市職員談)。当時の舛添はタレント学者としてテレビで稼いでおり、億単位で不動産を買い漁っていた。といった内容が報じられているが[47]、舛添事務所は取材に応じていない。ちなみにこの芸能人生活保護不正受給において追及の筆頭に立ったのは元妻の片山さつきであった。
介護問題
2000年に実母が死去するまでの数年間は、介護のため週末は郷里の北九州市で過ごすことが多く、仕事の重点も関西にシフトさせていた。晩年認知症(痴呆症)であったこの母の介護体験記『痴呆症の母を守って家庭崩壊』を『婦人公論』に連載[注 2]。母の介護問題を巡る困難や親族との軋轢など[注 3]を赤裸々に描き、大きな反響を呼んだ。この体験以来、福祉や介護問題を始めとした厚生行政への働きかけや問題提起を活発に行っている。介護体験は自ら政治の世界に足を踏み入れるきっかけの一つとなり、後の厚生労働大臣就任へとつながっていった[49]。
編集 by とけちゃま人